『探偵!ナイトスクープ』で、12歳の小学6年生の長男が共働きの両親に代わって0歳から10歳までの5人のきょうだいの世話「感動した」で終わらせていい話なのか

Yahoo!ニュース エキスパートで紹介された、12歳の長男が複数のきょうだいの世話を担っているケース。
テレビでは「健気」「すごい」「感動した」といった声が多く上がりました。

確かに胸を打つ場面です。
しかし同時に、これは日本社会が長年抱えてきた構造的な問題を映し出しているとも言えます。

この記事では、ヤングケアラーという視点と、
番組内で霜降り明星・せいやさんがかけた
「お前は子どもや。がんばらんでいい」
という言葉を軸に、日本の在り方と今後について考えてみます。


もくじ

  • はじめに|「感動した」で終わらせていい話なのか
  • ヤングケアラーという現実
  • 日本はなぜ子どもに負担が集まりやすいのか
  • 「お前は子どもや。がんばらんでいい」という言葉
  • 子どもにがんばらせすぎる日本社会
  • 問題は個人ではなく制度と社会構造
  • 「がんばらなくていい」と言える社会へ
  • おわりに|感動を問いに変える

ヤングケアラーという現実

ヤングケアラーとは、本来大人が担うべき家事・育児・介護などを、
日常的に行っている子どもや若者のことを指します。

本人に自覚がないまま、
・自由な時間がない
・学業に集中できない
・精神的な負担を抱え込む

こうした状態が長期化することも少なくありません。

今回のケースも、決して特別な家庭だけの話ではなく、
日本の多くの家庭が抱えうる問題です。


日本はなぜ子どもに負担が集まりやすいのか

背景には、日本特有の社会構造があります。

  • 共働きが前提となった働き方
  • 支援制度が「困ってから」でないと届きにくい仕組み
  • 地域や親族による支え合いの希薄化

制度は存在していても、
「知らない」「頼りにくい」「迷惑をかけそう」
そんな心理的ハードルによって使われないことも多い。

その結果、家庭内の不足分を
最も声を上げにくい存在である「子ども」が埋めてしまうのです。


「お前は子どもや。がんばらんでいい」という言葉

番組の中で、霜降り明星・せいやさんがかけた
「お前は子どもや。がんばらんでいい」
という一言に、多くの人が強く共感しました。

それは、この言葉が
子どもに向けた優しさであると同時に、
社会への違和感をはっきりと言語化したからだと思います。

子どもは、家庭を支える戦力ではない。
本来は、守られ、甘えていい存在です。


子どもにがんばらせすぎる日本社会

日本では昔から、

  • お兄ちゃんなんだから
  • 家族なんだから我慢しなさい
  • みんな大変なんだから

こうした言葉が、
無意識のうちに子どもを「小さな大人」にしてきました。

助け合いと、責任の押し付けは別物です。
選べない立場の子どもに役割を背負わせる社会は、
健全とは言えません。


問題は個人ではなく制度と社会構造

子どもががんばっている姿が「感動話」になる背景には、
社会や制度が十分に機能していない現実があります。

  • 育児や家事の負担を軽減する支援
  • 家庭が限界になる前に届くサポート
  • 「頼っていい」と思える空気

これらが不足しているからこそ、
子どものがんばりが美談になってしまうのです。


「がんばらなくていい」と言える社会へ

せいやさんの言葉は、
一時的な名言で終わらせるべきではありません。

「お前は子どもや。がんばらんでいい」

この言葉を、誰かが勇気を出して言わなくても、
当たり前に成立する社会。

家庭の限界を個人の努力で埋めるのではなく、
社会全体で支える仕組みをつくること。
それこそが、これからの日本に求められている姿です。


おわりに|感動を問いに変える

感動すること自体は悪いことではありません。
しかし、その感動の裏にある構造に目を向けなければ、
同じ問題は繰り返されます。

子どもは、がんばらなくていい。
そう胸を張って言える社会になっているか。

今回の出来事は、
私たち一人ひとりにその問いを投げかけているのではないでしょうか。

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